『アカウミガメは蛇顔』

 

 

  東伊豆で現地スタッフをしていた時のこと。上司が定置網の網主さんと知り合いだった。

    網主さん 「時々 定置網にアカウミガメが掛かるんだよね」

     上司   「今度掛かったらウチに下さい」

  何気ない口約束の数日後、「網にアカウミガメが掛かったから 持って行く」との電話が入った。暫くすると 網主さんがトラックでやって来た。荷台で何かが暴れている。デカイ。想像を遥かに上回る程に デカイ。アカウミガメの到着を喜ぶよりも先に、 コレ どうするのって感じ。頭の大きさは バレーボール大で、甲羅の長さは 1メートルはあろうかという代物だ。とりあえず アカウミガメをシートに仰向けに載せて4人掛かりで運ぶが、とにかく重いし よく暴れる。まるで質(たち)の悪い酔っ払いの様だ。そして何とか 潜降・浮上の練習も出来るプールに入れた。

 

  この場から逃げようとしているのか。プールの より海に近い面に向かって泳いで行く。壁があるので行けよう筈もないが、何度も同じことを繰り返していた。しばらくすると プールの大きさを悟ったのか、アカウミガメは ひとつふたつ深呼吸をすると潜っていった。プールの角に頭を納める様に着底して動かなくなった。まったく動かない。5分10分経ったが相変わらす動かない。

  程なくしてウミガメ到来の興奮も治まり、各スタッフは通常業務に戻った。アカウミガメは時々思い出した様に水面に顔を出しては ひとつふたつ深呼吸して また暫く潜る、を繰り返した。

  夕方 辺りが薄暗くなった頃、ふと プールを覗いてみた。相変わらず潜ったままだが、何か変だ。アカウミガメの周辺が薄く色付いて見える。まるでオーラを発しているかの様だ。気のせいかと思い 他のスタッフにも尋ねたが、やはり同じ様に見えるようだ。錯覚ではない。その後も プールに日が差し込まない時ならば、日時と居場所に間係なく そう見えた。結局 理由は分からず仕舞いのまま。

 

  次の日の朝、アカウミガメは相変わらず潜ったまま。餌をあげることとなり、前日 網主さんから頂いたサザエの殻を割り、水面から鼻先めがけて落としてみた。直ぐに気付いて口に含み、暫くすると 器用に蓋だけを吐き出した。今度は小ぶりのサザエを丸のまま落としてみる。自然界に殻を割ってくれる人はいない。直ぐに齧りついた。バリバリバリ。音が水面にまで響き渡る。その様は、まるで煎餅を齧るが如く。またしても 綺麗に殻だけを吐き出した。

 

  食べれば「出る」のは、自然の摂理。だが ここはダイバーが使うプール。出物を放っておく訳にもいかず、おまけにサザエの殻も散乱しているので、当然 プール管理担当の私が始末することとなった。

  アオウミガメがプールの角で寝ている時を見計らって潜った。出物の形が崩れない様に そおっとビニール袋に入れている時に 気配を感じた。顔を上げると、いつの間にかアカウミガメは起きていて こちらを見ていた。おもむろに向きを変え、そして終には サザエを殻ごと齧り割る口を持った バレーボール大の蛇顔をした生き物が、こちらににじり寄って来る。水中では明らかに こちらの分が悪い。思わず身を引くと、ついて来る。そして 「スローペースの追いかけっこ」が始まった。

  このままでは いつまで経っても掃除が終わらない。意を決して プールに着底して対峙した。アカウミガメは にじり寄って来る。そして今度は「睨めっこ」だ。相手は正に蛇顔、緊張する。暫くすると 気が済んだのか、向きを変えた。それからというもの 私がプールに入っても、その存在自体が無いかの様に こちらに無関心になった。但し 「睨めっこ」を終えていないダイバーがプールに入ると、決まって「スローペースの追いかけっこ」が始まった。

 

  無関心になったのをよいことに、今度はこちらから寝ているアカウミガメに接近した。頭の上に手を添えてみる。指先を大きく広げても余りある 大きな頭だ。指先で叩いてみると 結構硬い。甲羅の長さは約90センチ。前足に触れた途端、口先でそれを払い除ける行動に出た。とても素早い。前足への接触は厳禁。

  1ヶ所に止まっていられるとプール掃除の邪魔なので 思わず移動させようと横から甲羅を押してみた。さすがは海の生き物、水の抵抗が極端に少ない洗練されたファルムというか、これがいとも簡単に横滑りして行った。当のアカウミガメは迷惑そうにこちらを睨む。

 

  今日は撮影。モデルには女性スタッフを起用し、ツーショットを狙うとのこと。例の如く 初対面のダイバーとの「睨めっこ」。プールの底で正座姿勢の女性スタッフと対峙すると、矢庭に近づき始めた。アカウミガメが自らこんなに近づいて行くことは今まで無かった。顎の力を知っているだけに、いつにない行動に 何が起こるのかと緊張した。するとあろう事か 女性スタッフの膝の上に頭を載せた。膝枕?! そのままアカウミガメは動かなくなった。女性スタッフが頭を撫でても動かない。そう言えは、尻尾の長さから性別はオスだろうとのこと。だから 女性の膝枕で寝る?!、あまりにも出来すぎた展開だ。(これはフィクションではありません。紛れも無い事実です)

 

  OWプール講習の日。とにかく講習にならない。理由は、例の「睨めっこ&追いかけっこ」とバレーボール大の蛇顔。もっともなことだ。潜ることすら儘ならない初心者にとっては、追い討ちがかかる様なもの。「こんな経験 滅多にないのだから面白がれ」という方が無理というものだ。

 

  そうこうする内、海に返す日が来た。プールの浅瀬に追い込んで、いざプールサイドへ。しかし 一気に重さが加わるし 暴れ出すしで悪戦苦闘。大騒ぎの末 何とか陸揚げを終え、次は体重測定。更衣室に置いてあった体重計2台の上に角材と板を渡し、更にその上に仰向けにしたアカウミガメを載せて計量したところ、体重はおよそ 100キロ。(無論のこと 角材と板を除いた重さ)

  仰向けに載ったシートを皆で持ち、荷台に載せて漁港へ運ぶ。漁師が慣わしだと言ってアオウミガメに酒を振舞った。スロープから海に入れると 勢い良く泳ぎ出し、あっという間に見えなくなった。

 

 

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